近藤富枝「本郷菊富士ホテル」を読む

私は坂口安吾と宇野浩二の大ファンである。安吾の作品は太宰治の作品と同様に、大学生の頃、貪り読んだ。安吾の何者をも怖れず忌憚のない毒舌の評論が大好きだった。「不連続殺人事件」は世界最高峰の推理小説だと今でも思っている。
太宰・安吾の次に読んだのが宇野浩二である。「苦の世界」「蔵の中」「子を貸し屋」は惚れ惚れとする作品である。何度も読み返した。
私は長らく、坂口安吾と宇野浩二は、生き方も作風も違うので別々の世界に住んでいたと思っていたが、意外にも時間は違うが二人が共通な空間に住んでいたことを知っていささか驚いた。二人とも本郷菊坂ホテルの住人であったのである。
本郷菊坂ホテルは明治に作られた下宿屋が近代的なホテルに成長したものである。ただホテルになっても下宿屋を兼ねた。文学史にはたまにこのホテルの名が出て、有名な文学者たちが泊まったことが記されているが、私はほとんどこのホテルのことは気に留めることはなかった。
今回、初めて近藤富枝の「本郷菊富士ホテル」を読んだ。すばらしい本である。もっと若い頃、この本を読んでいたらと悔やんだ。読んでいたら明治・大正・昭和の時代にさらに興味を持っただろうと思う。
近藤富枝は著名な文芸評論家である。だからといって、この本は単なる文学史の本ではない。多くの著名な作家が登場してくるが、この本の本質は時代の雰囲気をするどく醸し出すことにある。さながらたくみに人間模様を描いた歴史小説のような趣きがある。表の歴史には現れない生きた歴史が描かれている。
本郷菊富士ホテルとは名前の通り本郷にあったホテルである。現在はない。本郷とはいわずと知れた東京大学がでんと構えている町である。江戸時代は「本郷もかねやすまでは江戸の内」といわれたほど田舎であった。東大が建った旧加賀屋敷は江戸の内ではなかった。明治になり、東大ができるや本郷は大学の町として飛躍的に発展し、日本中から秀才たちが本郷に押しかけた。そのため、本郷では下宿屋が立ち並んだ。
菊坂ホテルの創業者は羽根田幸之助である。羽根田は現在の岐阜県大垣の近くの村に、安政六年に生まれた。その村で育ったが、村にいるのがいやで、明治二十八年に妻を伴って一旗揚げようと東京に出た。新橋駅に降り立ったとき、その夜泊まるあてもなく、ようやく駅裏の仕舞屋(しもたや)を発見して、そこに泊まった。その仕舞屋の女主人に下宿屋になることを勧められるのである。
羽根田は努力家であると同時に経営の才能がかなりあり、本郷に下宿屋をつくると、それを大きくしていった。そして、いよいよ大正の初めに菊富士ホテルを新装開業するのである。地下一階、地上三階、南端屋上に塔の部屋をもつ近代的なホテルである。眺めはよく帝国ホテル以上といわれた。
このホテルは外国の要人たちが大挙して押し寄せ大繁盛した。近代的ホテルがほとんどなかったからだ。日本人でも、著名な学者・作家・文化人などが泊まった。なかにはマルキストもいた。大杉栄とその愛人の伊藤野枝も宿泊し、プロレタリア文学の宮本百合子も泊まった。
おもしろいのはやはり宇野浩二と坂口安吾である。宇野はある部屋を仕事場兼住居として借りた。宇野はその部屋に布団を敷くと、布団に腹ばいになったまま原稿を書いた。
安吾は屋上の塔の三畳の部屋に住んだ。風が吹くと揺れたそうである。この部屋で、安吾は恋人の矢田津世子に会った。結局、安吾と矢田は別れることになり、安吾は失意のまま、ホテルを出て京都に去った。
菊富士ホテルに泊まった人たちのことを調べるとそれこそ大正・昭和の激動の時代の歴史の裏面をまざまざと見ることができるのではないか。「本郷菊富士ホテル」は何ともぞくぞくさせてくれる名著である。


なお、宇野浩二、坂口安吾の作品の読書感想文は、数学道場・作文道場に掲載していますのでクリックしてください。
◆ 宇野浩二 「苦の世界」「蔵の中」
◆ 坂口安吾 「二流の人」「直江山城守」「日本文化私観」
写真上は、文京区本郷に建っている本郷菊富士ホテル跡の石碑です。
写真下は、静岡県修善寺にある旅館鬼の栖の露店風呂です。大正から昭和の初め、多くの文化人が常宿していた本郷菊富士ホテル。文芸の鬼才たちが愛し、身を寄せたところから、またの名を鬼の栖と呼ぶ人がありました。鬼の栖に名をかり、瀬戸内寂聴女史が命名したそうです。
鬼の栖は、高級旅館石亭グループに属しています。石亭グループは、本郷菊富士ホテルの創業者羽根田幸之助氏の三男羽根田武氏が創業したものです。そのためか、石亭グループは文人たちに非常に縁が深いです。
<本郷近辺の写真>

本郷といえば今や、東京大学しか浮かばない人も多いと思います。写真は、東京大学の赤門です。

本郷といえば、「本郷もかねやすまでは江戸のうち」の名キャッチコピーを思い浮かべる人は、今やいません。本郷は、五街道の一つである中山道が通っており、往来が激しかったところです。江戸時代はここが江戸の分かれ目だったのです。

本郷といえば、江戸の分かれ目ということで、橋(本郷は台地のため、この看板が建っている場所は当時川が流れていました)を境に、見送る人、見返る人を見ることができました。東大を受験する人のために、新たな看板を創って名所にしたらいいと思いますが・・・余談でした。


写真上は、本郷菊富士ホテル跡からすぐ傍にある徳田秋声の旧宅です。ホテルの周りには樋口一葉にまつわる菊坂、井戸、質屋があります。写真下は、旅館太栄館にある石川啄木の石碑です。石川啄木も本郷にゆかりが深い人です。石川啄木の歌碑は、湯島天神がある切通にもあります。現在旅館太栄館は工事中です。

写真上は、文京区にある青鞜社跡の案内板です。NHK連続ドラマ「あさが来た」にも登場していた平塚雷鳥が中心となって結社された婦人解放運動を精力的に展開した文学的思想啓蒙運動団体です。結社当時には、「あさが来た」の主人公広岡浅子や森鴎外の妹である小金井喜美子らがいました。その後伊藤野枝が中心となって運営されていきました。
<修善寺 旅館鬼の栖>

写真上は、修善寺駅です。

写真上は、修善寺です。

写真上は、鎌倉幕府第二将軍源頼家廟道です。

写真上は、夏目漱石が晩年に投宿した菊屋です。



写真上は、鬼の栖の看板です。写真中は、鬼の栖の玄関です。鬼の栖の館内に飾ってある岡本太郎の作品です。岡本太郎が宿泊した時に制作したとのことで、実母である岡本かの子女史も菊富士ホテルに関係をあることでした。
併せて読むと、明治・大正時代の背景、空気がよくわかります。
・長尾剛「広岡浅子 気高き生涯」を読む
・林洋海「<三越>をつくったサムライ 日比翁助」を読む
・白崎秀雄「鈍翁・益田孝」を読む
・出町譲「九転十起 事業の鬼・浅野総一郎」を読む
・渡辺房男「儲けすぎた男 小説安田善次郎」を読む
・渋沢栄一「現代語訳 論語と算盤(そろばん)」を読む
・小林一三「私の行き方」を読む
・宮田親平「『科学者の楽園』をつくった男」を読む
・山嶋哲盛「日本科学の先駆者高峰譲吉」を読む
・中村建治「メトロ誕生」を読む
・中村建治「山手線誕生」を読む
・青山淳平「明治の空 至誠の人 新田長次郎」を読む
・嶋岡晨「小説 岩崎弥太郎 三菱を創った男」を読む
・山田義雄「花は一色にあらず」を読む
・松永安左エ門「電力の鬼 松永安左エ門自伝」を読む
・砂川幸雄「森村市左衛門の無欲の生涯」を読む
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