頼山陽「日本外史(下)」を読む

「日本外史(下)」は大きく徳川氏の歴史を扱っている。巻之十五から巻之二十二までである。
巻之十五 徳川氏前記 豊臣氏 上
巻之十六 徳川氏前記 豊臣氏 中
巻之十七 徳川氏前記 豊臣氏 下
巻之十八 徳川氏正記 徳川氏 一
巻之十九 徳川氏正記 徳川氏 二
巻之二十 徳川氏正記 徳川氏 三
巻之二十一徳川氏正記 徳川氏 四
巻之二十二徳川氏正記 徳川氏 五
豊臣氏の盛衰を描き、徳川氏が大坂夏の陣に勝利して真に天下統一をなし、長い平和な時代の礎を作ったところで、この大部の歴史書は幕を閉じる。

「日本外史」はいわゆる通史ではない。「史記」の列伝のように、一人の人間に焦点をあてて、それらを時代順に書き並べている。そのため、最終局面は、織田氏・豊臣氏・徳川氏の三氏の歴史をそれぞれ扱うが、内容的に重複している。しかし、織田氏は織田信長、豊臣氏は豊臣秀吉、徳川氏は徳川家康を中心に描かれるので、同じ内容であっても、見方が違うので新鮮である。
長い時間をかけて「日本外史」を読み終わったのであるが、最後の文に出会って、私はなぜ、頼山陽がこの膨大な歴史書を書いたのかに思い当たった。その文とは以下の文である。
嗚呼。これ其の長く天下を有(たも)ち、以て今日の盛業を基(もとい)する所以なるか。
私は初め、「日本外史」とは日本の黎明期から書き起こしたものと思っていたが、実際は、平安時代末期の平家の盛衰から書き起こしている。いはば武士の時代の歴史を書いているのである。
「日本外史」を読んでみるに、平家の時代から大坂夏の陣までは、国は乱れに乱れていたと、いまさらながら思う。内乱につぐ内乱、戦につぐ戦である。約500年もの間、日本は平和から遠ざかっていたのである。そんな中、徳川家康は政権をとると、日本はそれまでになかった長い平和な時代を享受することになる。それまでの過程を頼山陽は思い入れたっぷりに書き上げているのである。
次は、家康が近臣を諭した言葉である。
凡そ所謂(いわゆ)る忠とは、豈に独り徳川氏に忠なるのみならんや。乃ち天に忠なるなり。我もまた天に忠なる者なり。
この「天」が何を意味するかは、議論百出するところであるが、「日本外史」の大きな流れの中で、天皇ととってもよいのではないか。
「日本外史」の大きな流れとはやんごとない天皇家の存在である。天皇家をないがしろにする輩は亡びていくのである。この大きな流れの中で、足利尊氏は悪しざまにいわれ、新田義貞は褒められる。
徳川家は新田義貞から出ていると頼山陽は記す。長い格闘の末、天皇に忠を尽くした徳川家が天皇を上に頂きながら、天下を平和に導いたと、頼山陽はいいたかったのであろうか。
本当のところ、勝海舟もいっているように、徳川幕府はかなりの援助を天皇家にしている。この「日本外史」が松平定信に献じられたとき、定信が喜んだのもわかる。
「日本外史」は歴史書というより、「平家物語」「太平記」などと同様に、歴史文学であると私は思った。
「日本外史」は漢文(岩波文庫は読み下し文)で書かれている。文章は簡潔でリズミカルで力強い。一級の文学作品である。
江戸時代の文学というと、井原西鶴・近松門左衛門の作品のようにかなで書かれているものを思い浮かべるが、漢文で書かれた名作も豊富にあることを知るべきである。


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