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内村鑑三「余は如何にして基督信徒となりし乎」を読む

多磨霊園にある内村鑑三の墓所 世の中にはわからないことがたくさんあるが、とりわけわからないことは宗教ではないだろうか。イスラム教とは一体何なのか。なぜ中近東では戦争が絶えないのか。
 イスラム教だけではない。一応日本に浸透されている仏教について、どれほどの日本人が仏教を理解しているのであろうか。江戸時代、日蓮宗の信徒と浄土真宗の信徒はたいへん仲が悪かった。門外漢からみれば、同じ仏教ではないかといいたくなる。
 日本には仏教の他に神道並びに儒教が根を張っている。神道とは?儒教とは?
 江戸時代にもいわゆる隠れキリシタンと呼ばれるキリスト教信徒はいたのだろうが、明治になって合法的にキリスト教が日本に入ってきた。
 このキリスト教は欧米人の考え方の土台となる宗教であるが、私はよくわからない。私はドストエフスキー・トルストイ・ジッドなどキリスト教を追求したといわれる作家たちの作品を読んだが、キリスト教の本質はわからないままである。おそらくドストエフスキーの思い描いているキリスト教とトルストイのそれとはだいぶ違うのではなかろうか。
 キリスト教は訳の分からないものであるが、そのキリスト教のために人生を捧げた人は歴史上に五万といる。彼らを突き動かしたものは何なのだろうか。
 明治以降の日本において代表的なキリスト教信徒の一人は内村鑑三である。内村と同窓の新渡戸稲造も敬虔なるキリスト教信徒であるが、キリスト教という観点では、内村の方が格は上である。
 ところが、歴史上では内村はキリスト教というよりは、<第一高等中学校不敬事件>の当事者として有名である。この事件は、内村が第一高等中学校の教師をしているときに起こった。内村は檀上の明治天皇の御真影に頭を下げなかったのである。内村にいわせると、頭は下げたが、深々とは下げなかったということである。これを見た学生たちが騒ぎ出し、新聞も大きく取り上げ、内村は世間から断罪された。結局、内村は第一高等中学校を辞めざるを得なかった。
 キリスト教はすんなりと明治の社会に溶け込んだわけではなかった。明治時代には、江戸時代のキリシタン政策の雰囲気が色濃く残っていて、キリスト教に帰依した人たちは迫害された。キリスト教信徒になったばかりに、家を追い出された嫁もいた。ほとんどの日本人はキリスト教を邪教と思っていた。そのような状況で、内村はキリスト教の普及と研究に身を捧げた。
 内村はなぜキリスト教にのめり込んでいったのか。私はかなり以前から内村に関心をもっていたが、今回、初めて内村の代表的著作である「余は如何にして基督信徒となりし乎」を読んだ。自伝的要素が多く、かなり難解な本である。もともとは英語で書かれたものであるが、日本語に翻訳された。この事からもわかるように、この本は日本人に向けて書かれたものではなく、欧米人に向けて書かれたものである。欧米では、この本の評価はたいへん高い。
 おもしろいのは、<何故(なぜ)>ではなく、<如何(いかに)>であることである。
 内村鑑三は1861(万延2)年に高崎藩士の長男として、江戸で生まれた。内村がキリスト信徒になったのは、札幌農学校に入学してからである。内村が入学したときは、開校2年目で、まだあのクラークがいて、農学校はキリスト教に染まっていた。内村たち2期生は、上級生からキリスト教に帰依するように半ば強制された。内村は悩んだ末、キリスト教に帰依した。洗礼名は自らヨナタンと名乗った。
 一旦、キリスト教信徒になると、内村は仲間たちと一緒にキリスト教の普及に努めた。キリスト教には教会が必要だからといって、教会を建設するための運動もした。教会は建設された。
 農学校を卒業した内村は官吏になるが、キリスト教の普及の勤めはやめなかった。そして、キリスト教を極めるために、キリスト教の国であるアメリカに渡った。
 アメリカでは最初、精神病院で看護師として勤務した。私が興味深く思ったのが、内村のアメリカに対するイメージが日本にいたときと実際にアメリカを見たときとは大きく違ったことである。日本にいるときは、内村はアメリカは豊かで人種差別などないと思っていた。ところが、アメリカには、貧しい人が大勢いるし、何よりも驚いたのは人種差別の激しさであった。黒人はいうまでもなく、白人同士も差別しあっていた。<隣人を愛せよ>のキリスト教の国で、人がいがみ合っていたのである。当然、日本人も差別された。
 内村は精神病院の勤めに疲れ、キリスト教の研究をするために、アマースト大学に入学した。内村は伝道者になる道を選んだのである。
 大学を卒業すると、いよいよ異教の地である日本に帰って、キリストの布教に勤めた。
 内村が唱えるキリスト教はカトリックでもプロテスタントでもなく、無教会主義とよばれる。私がこの本を読んで、それなりにキリスト教の本質は何かと考えてみるに、キリスト教を信じるとは、イエス・キリストと人格的に一体化することであると思った。

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テーマ : 読書感想文 - ジャンル : 小説・文学

Tag : 内村鑑三 余は如何にして基督信徒となりし乎

内村鑑三「代表的日本人(だいひょうてきにほんじん)」を読む

上野の山の西郷さん 私が通った小学校には二宮金次郎こと二宮尊徳の銅像があった。あの薪をかついで歩きながら読書している銅像である。小学生の私には銅像の主が何をした人かはわからなかった。中学生になって私は偉人伝というのをよく読んだ。その偉人伝の1つが二宮尊徳についてであった。だが私には二宮尊徳の偉大性はわからなかった。私には偉人といえば織田信長であり、豊臣秀吉でありそして徳川家康であった。二宮尊徳は農業で成功したぐらいしか思わなかった。
 本当に二宮尊徳が偉い人だと気が付いたのはそれから何十年もたって明治の歴史の本を読んでからであった。
 明治4年、岩倉具視を団長とする遺米欧使節団が横浜を出発し、アメリカ・ヨーロッパを回って日本に帰ったきた。使節団は政府の要人たちで占められていた。この使節団はこれからの日本の行くべき道をさぐる使命を帯びていた。
 要人たちは欧米の文明の高さそして社会の豊かさに圧倒された。彼らは日本に帰ると、日本が目指す社会を描いた。それは資本主義をベースにした豊かな国づくりであった。そのためにはまず殖産興業であり、資本主義を発展させることであった。アメリカの豊かさが資本主義にあることを要人たちは気付いたのである。彼らは賢く、なぜアメリカで資本主義が成長・発展したかを追求した。彼らの得た結論は、アメリカ人の多くはプロテスタントで、プロテスタントの勤勉・誠実さが資本主義を成長させたということである。
 マックス・ヴェーバー(Max Weber、1864年4月21日 - 1920年6月14日、ドイツの社会学者・経済学者)の「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」に書かれていることを政府の首脳は見抜いたのである。明治政府は日本において資本主義を勃興させようと企てた。教育はその企てを全面的にバックアップした。教育の目的の1つはプロテスタントのような勤勉・誠実な人間を養成することであった。歴史上の人物から見本になる人物を探すと打って付けの人がいた。その人こそ二宮尊徳である。
 二宮尊徳のような人間を養成する。これが教育の目標になると、全国の小学校に尊徳の銅像が建てられた。

 内村鑑三は英語で「代表的日本人」という本を書いた。この本は5人の人間について書かれている。その1人が二宮尊徳である。他の4人は西郷隆盛・上杉鷹山・中江藤樹・日蓮上人である。キリスト教信者の内村はこれら5人を尊敬すべき偉大な人物として取り上げているのである。最初は少し意外な感じがしたが読みすすむうちになるほど内村が尊敬するのももっともだと納得させられる。
 これら5人に共通していることは、強力な磁石のような人を惹きつける力をもっていることだ。内村はこの「人を惹きつける力」のもとを「徳」としている。かれら5人には徳があったのである。それではその徳は何から生まれるかというと、「無私の精神」であり、「弱いものを助ける慈悲の心」であるといっている。おそらく、これはキリスト教に通づるものであろう。「すべてを投げ打って弱きを助ける」ことはキリスト教の重要な教えの1つである。
 二宮尊徳は農業を復興させる天才であって「無私」とは矛盾するようであるが、内村は尊徳を例にして無私の精神で勤勉・誠実に仕事をすれば豊かになれることを証明しているのである。
 すべてのもとは「徳」であると、内村はいっているようだ。内村にしてみれば、これら5人はキリストと同じくらいの人に見えたのかもしれない。

 私は歴史がたいへん好きである。もし歴史上の人物で1人だけ会えるとしたら、私は西郷隆盛に会いたい。西郷についての本をいろいろ読むと、本当に西郷は魅力的な人だったらしい。西郷と会ったほとんどはその人格に魅せられたという。
 西郷の座右の銘は「敬天愛人」である。天を敬い人を愛すである。そして西郷の魅力の原点を探ると中江藤樹に行き着く。中江藤樹は日本の陽明学の祖として謳われている人だが、私はそれよりも中江がたくさんの人から聖人として慕われたことに興味を覚える。中江も私利私欲とは全く縁のない人であった。
 
 「豊か」になるために「無私」になる。一見矛盾するようだが真実に迫っている逆説である。二宮尊徳・上杉鷹山・中江藤樹などをみるとこの逆説がやはり正しいことがわかる。敬虔なるキリスト教信者の目から見ても、「徳」は生きる上で最も大切な資質であると「代表的日本人」は私たちに教えてくれる。

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日蓮法難の現在の「龍口寺(りゅうこうじ)」 写真上は、東京都台東区上野公園の入口に建っている西郷隆盛像。
 写真左は、神奈川県藤沢市にある龍口寺(りゅうこうじ)。この寺は鎌倉時代の執権北条時宗のとき、日蓮を処刑しようとしたが果たせなかった場所で龍口刑場です。「龍口法難」(たつのくちのほうなん)といわれています。奇跡的に死刑を免れた日蓮は、佐渡に流がされました。また、この地で元寇のときの元の使者も処刑されています。

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